question:1126366449 をいじってみる

殺人から詐欺に変えてみる。

なぜ、現実では「嘘をついてはいけない」とされ、フィクションでもそのルールは概ね準用されるのに、現実世界の人間がフィクション世界の人間をだますことはよいのでしょうか?

作者が登場人物を騙す→元の質問と似たような構造
読者が登場人物を騙す→無理

主語を入れ替えてみる

なぜ、現実では「嘘をついてはいけない」とされ、フィクションでもそのルールは概ね準用されるのに、フィクション世界の人間が現実世界の人間をだますことはよいのでしょうか?

作者が読者を騙すことを拡大解釈すれば、フィクション世界の人間が現実世界の人間をだましていると言えないこともないかな。
そう解釈すると、私の答えは「フィクションは嘘。読者は楽しく騙されたいから読んでいる」です。

殺人から(恋愛の)二股に変えてみる

なぜ、現実では「二股をかけてはいけない」とされ、フィクションでもそのルールは概ね準用されるのに、現実世界の人間がフィクション世界の人間に対して二股をかけることはよいのでしょうか?

「二股をかけるてもよい」ということは本当なのか、「一人のキャラクターに愛を注ぐべき」という意見もありうるだろう、とまず考えた。
そもそもフィクション世界の人間を愛すること自体、白い目で見られる行為だということをすっかり忘れていたので私の負け。

主語を入れ替えてみる

なぜ、現実では「二股をかけてはいけない」とされ、フィクションでもそのルールは概ね準用されるのに、フィクション世界の人間が現実世界の人間に対して二股をかけることはよいのでしょうか?

どういう状況だ